"なぜフェンスが建てられたのかわかるまで、決してフェンスをとりはずしてはならない"

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—チェスタートン(ジャーナリスト・作家) (via nobaba1981) (via nemoi) (via rokugen) (via hibiky) (via uessai-text) (via kuriz) (via cxx) (via tundereforce) (via jinon)

In the matter of reforming things, as distinct from deforming them, there is one plain and simple principle; a principle which will probably be called a paradox. There exists in such a case a certain institution or law; let us say, for the sake of simplicity, a fence or gate erected across a road. The more modern type of reformer goes gaily up to it and says, “I don’t see the use of this; let us clear it away.” To which the more intelligent type of reformer will do well to answer: “If you don’t see the use of it, I certainly won’t let you clear it away. Go away and think. Then, when you can come back and tell me that you do see the use of it, I may allow you to destroy it.

This paradox rests on the common sense. The gate or fence did not grow there. It was not set up by somnambulists who build it in their sleep. It is highly improbable that it was put there by escaped lunatics who were for some reason loose in the street. Some person had some reason for thinking it would be a good thing for somebody. And until we know what the reason was, we really cannot judge whether the reason was reasonable. It is extremely probable that we have overlooked some whole aspect of the question, if something set up by human beings like ourselves seems to be entirely meaningless and mysterious.

There are reformers who get over this difficulty by assuming that all their fathers were fools; but if that be so, we can only say that folly appears to be a hereditary disease. But the truth is that nobody has any business to destroy a social institution until he has really seen it as an historical institution. If he knows how it arose, and what purposes it was supposed to serve, he may really be able to say that they were bad purposes, that they have since become bad purposes, or that they are purposes which are no longer served. But if he simply stares at the thing as a senseless monstrosity that has somehow sprung up in his path, it is he and not the traditionalist who is suffering from an illusion.

物事を改革するときには、変形させるときとは違って、そのための簡単で単純な原理がある。 それはおそらくはパラドックスの一種として分類される原理である。

まず、何かの慣例や法があるとする。 簡単のため、それを、道をさえぎって立てられたフェンスか門だとしよう。 進歩的な改革者がそこにやってきて、「私にはこれの使い道が分からない。撤去してしまおう」と大々的に宣言する。

そこにもっと知性のある改革者がいれば、このように答えるだろう。 「利用価値が分からないものの撤去を許すわけにはいかない。一度去って、考えなさい。使い道が分かったら、戻ってきて言いなさい。そうすれば破壊することを許すかもしれない」

このパラドックスは常識に基づいている。すなわち、門やフェンスは勝手に生えないし、 夢遊病者が眠りながら立てるものではないし、 病院から逃げた狂人が無目的に立てるとは、ほとんど考えられない。

誰かが何かの理由で、誰かのために良かれと思って立てたのである。 そしてその理由が分かるまでは、それが我々にとって妥当な理由かどうか判断できない。 我々と同じ人間が作ったものがまったく無意味で不可思議に見えているのは、 ある重要な側面をまるごと見逃していたのが原因だった、ということは極めて高い可能性でありえることである。

ある種の改革者は、祖先がすべてバカだったとみなすことによって、この困難をやりすごしてしまう。 本気でそうだと言う人には、その愚かさは遺伝病ではないかといいたい。 本当は、その社会的慣習が歴史の遺物だと分かるまでは、破壊する義務はだれにもない。 その成り立ちを知り、何の目的に供されたかを知ってはじめて、その目的が間違っていた、それが間違った目的になってしまった、満たす必要のない目的になってしまった、などということができる。 しかし改革者が、なぜか道に飛び出してきている奇怪な物体としてそのフェンスを眺めているだけだったならば、 幻想にとらわれているのはその改革者自身であって、保守主義者ではない。

G.K. Chesterton, Thinking backward, looking forward

(via whym, nobabaclip)

Source: nobabaclip

(via ak47)

Source: pixiv.net

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海外旅行ツアー年間傾向

年末年始に関しては年末からの料金が上がりきって年初からは下がる傾向に
1月下旬から料金は値下がり始める
2月はツアー価格は旅行者数は減少し全体的に下がる
3月になると春休みが始まる後半前から徐々にツアー価格は上がり始める。特に公立学校の修了式が多い20〜25日はハワイや東南アジアリゾートなどが上がる
ゴールデンウィーク最高値は4月後半。ゴールデンウィーク後半から価格は下がり始める。ただしゴールデンウィークが終了してもいきなり価格は落ちない。
6月は目立った休日がなくツアー料金は下落傾向。ただしハワイやオーストラリアなどハネムーンに人気の場所は料金が上がる
7月上旬からヨーロッパを中心に少しずつ値を上げる。
7月後半、特にファミリーに人気の高いハワイ、グアム、サイパン、アジアリゾートなどは効率の学校の終業式を中心に料金が上がる
7月後半から上がり続けたツアー料金は、8月上旬まで上がり続け、15日の前週がピークに。

8月後半も旅行代理店の第二の稼ぎ時として料金は高めを維持
9月10月は秋の行楽シーズンだが、夏とは比べ物にならないくらい料金は落ち着いている
11月から徐々に上がり始める
12月も徐々に
年末年始は公立学校の終業式を目安に価格は跳ね上がる

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Source: uramayu.com

#Hipstamatic #LuciferVI #Float / on Instagram http://instagr.am/p/V3OaCOS_5T/

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"出版のプロに校正のコツを教わったよ。それは文章を逆順に(後ろから)読むことだ。これなら意味を考えないで読める"

Source: b.hatena.ne.jp

"家族というのは基本的に「会食する集団」でしょう。デートというのも基本的に「いっしょにごはんを食べに行くこと」ですよね。どうしていっしょにごはんを食べるのかって言えば、ごはんを食べているときに、美味しいかどうかで、その人といて楽しいか楽しくないかが分かるからですよ。家族でごはんを食べるのは仲がいいから食べるんじゃない。その逆です。「いつごはんがまずくなるか」をチェックするために、いっしょにごはんを食べる。ぼくはそう思っているんです。

ごはんを食べていてまずくなったら、それは家族の危険信号なんです。だいたいテレビドラマでも、家族の間に亀裂が入ると言うときは、ちゃぶ台をひっくりかえすか、作ってくれたものを残して「もう、いらない」と席を立つ場面ですからね。

セックスするまでもなく、男と女はいっしょにごはんを食べるだけで、いっしょに居られる人かどうかはわかるんです。うまくゆかない相手とだと、ごはんの味がしないから。「味がしない」というのは、「この人といっしょにいても、あなたの心身のパフォーマンスは上がらないです」って身体がシグナルを送ってきているわけですから。いくら頭が「いっしょにいるほうがいい」というメッセージを送っても、消化器の方が「いやだ」って言っている。だから、食事の時にたわないことをしゃべっていても、やたら食が進んで、「おかわり」と言える時は、身体が「この人とは相性がいいよ」って教えてくれているんです。(P.57)"

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『身体知 ~身体が教えてくれること~』 内田樹 × 三砂ちづる

いっしょにいると

しあわせなひと

(via biccchi)

これちょう同感

(via wrigley) (via nagas) (via sytoh) (via etecoo) (via kml)

(via thinkupstudio, firedfly) (via usaginobike) (via 16493)

(via adf311)

(via gosuke)

スケジューラに【会食】と表記するようになったのは40歳を過ぎてから…

(via tyamamotowebark) (via allgreendays) (via koshima) (via do-nothing) (via yuoak) (via appbank) (via shortcutss) (via mmmmmmmmmy) (via tino0122)

(via harukaze417) (via thinkeroid) (via plasticdreams) (via w210) (via mekarauroko)
Source: firedfly

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究極のサービスを実践する帝国ホテルにあるバー「オールドインペリアルバー」からの出題。ここのバーテンダーは注文があると、1杯目のグラスはお客様が最も手に取りやすい右斜め前に置くのだそうです。でも、2杯目は……。

問題:居心地の良いパーを演出する帝国ホテルのバーテンダーが、おかわりの注文が来たときに2杯目のグラスを置く場所はいったいどこでしょう?

答え:お客様が自分で移動した、1杯目のグラスの位置

 誰でもそうですがバーやカフェで飲み物を置く場合、自分がもっとも飲みやすい場所、あるいはグラスを置いておきたい場所にグラスを置きます。神経質な人は、それこそミリ単位でグラスの位置を調整したりするものです。

 バーテンダーは、お客様が1杯目のグラスをどこに置いていたかをさりげなく観察しておいて、2杯目のグラスは「当たり前のように」その位置に置くのです。それがあまりにも自然に行われているので、多くのお客はそんな配慮に気づかないのです。だから「あのバーは(なぜか)居心地がいい」ということになるというわけです。

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Source: deepspeed

"「ふーん、君は“バカ”なのに、自分の限界は正確に測定できるんだ。僕なんか、自分がどの程度“バカ”なのかさっぱり見当がつかないから、君の方がずっと賢いよね」"

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